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姫路城


更新:2019/01/31

 
            <2015/7/20>                           <2009/11/25>
姫路城は、ユネスコの世界遺産リストにも登録されている、兵庫県の姫路市にある名城です。
姫路市街北側の姫山、鷺山を中心に築かれた平山城で、江戸時代以前に建設され、天守が残る現存12天守の一つです。
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存しており、国宝や重要文化財の指定も受けています。
中堀以内のほとんどの城域が特別史跡に、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に指定されています。
また、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されています。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのは、1993年(平成5年)12月です。

姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力です。
ただ、当時のものは砦のような小規模なもので、現在の城郭に相当するものは黒田重隆・職隆父子とする説もあります。
戦国時代後期から安土桃山時代にかけて黒田氏や羽柴氏が城代となり、本格的な城郭に拡張されています。
関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって、今日の大規模な城郭へとさらに拡張されました。

太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、奇跡的に焼失を免れ、多くの城郭建築が残りました。
昭和の大修理(約30年間)を経て、姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められました。
その後、45年が過ぎて屋根や漆喰などの汚れ、傷みが激しくなり、2009年10月1日から修理が行われました。
屋根瓦の全面葺き替え、屋根目地漆喰の全面補修などが行われて、2015年(平成27年)3月18日に完了しています。
左の写真は修理後のもので、瓦自体が灰白色になり、漆喰も白いため、白鷺城の名に恥じない白さに戻りました。
右の写真は修理が始まった頃のもので、大天守の色の違いが良く分かると思います。
なお、隣の小天守や手前のチの櫓などは、修理対象外でしたので変わっていません。

姫路城 インデックス


夏の姫路城 [2015/7/20]

平成の大修理が2015年(平成27年)3月18日に完了したので、どう変わったのか見に行ってきました。
屋根瓦の全面葺き替え、屋根目地漆喰の全面補修などが行われたため、白鷺城の名に恥じない白さに戻りました。
白い雲の浮かぶ青い夏空に、白い大天守が良く映えていました。
この白さは、瓦が新しくなったこともありますが、屋根目地漆喰の白さが際立っていることによります。
瓦1枚毎に、白い漆喰で目地を埋め、かまぼこ型に覆っているので、下からでは漆喰で瓦がほとんど見えないためです。
この白い漆喰ですが、一般的には1年ほどでカビにより黒ずんでしまうそうです。
そのため、防カビ剤を使用してカビの発生を抑えているそうで、3〜5年は白さを保ってくれるとのこと。

ところで、白鷺城をどう読むか、漢学的な名称なので「はくろじょう」を正しい読みとしていたことがあります。
そのため、姫路市内の市立小中学校の校名は、白鷺(はくろ)の読みとなっています。
しかし、現在では、書籍に「はくろじょう」「しらさぎじょう」を併記しているもの、
「しらさぎじょう」の読みのみ記載したものがあり、「しらさぎじょう」の読みが普及しつつあるようです。

 

左は、桜門橋越しに見た大小天守閣です。その下に見えているのは、西の丸の城郭になります。
このアングルからだと、西小天守の後ろに、乾小天守が少しだけ顔を見せていますね。
桜門橋は、復元された2007年から8年経過していますので、すっかり古びた色合いになりました。
復元されて間もない頃と比較すると、ずいぶんと黒ずんで、違和感が無くなったように思います。
右は、三の丸広場の手前にある世界遺産登録を記した石碑と大天守です。
撮影スポットになっていて、入れ代わり立ち代わり人が来るので、この1枚を撮るためにずいぶん待ちました。
石碑の後ろ、松の上に少し顔を出しているのは、三の丸広場に1本だけある大きなイチョウの樹です。

 

石碑の横から三の丸広場に入って撮ったのが左側の写真です。先ほどのイチョウが右側に見えます。
三の丸広場の中の植栽は、このイチョウの樹1本のみで、後は周囲に桜の樹が植えられています。
広場の中では、このイチョウの所にだけ日陰ができるので、人が集まっていますね。
さらに広場を進むと、途中からは芝生の広場となります。立ち入り禁止になっていたので、中に人はいません。
そのため、右の写真のように、緑の絨毯の上に周りの櫓を従えた大小天守の雄姿をうまく収めることができました。

 

三の丸広場の端の方から見上げた大小天守閣と大天守の最上階、鯱の写真です。
この写真ではそれほど白く見えていませんが、夏の太陽に照らされた屋根は本当に白く見えます。
上記にも記しましたが、盛り上げた白漆喰で瓦1枚毎に目地を覆っていて、その部分の白さが白く見える要因です。
左のアップの写真で、鯱の間に白(漆喰)と黒(瓦)が交互に並んでいますが、これを斜め上から見ると、
もり上がった白漆喰が瓦を隠して、屋根に見える白っぽい縦線のように見えるのです。
ちなみに、その間に見えている黒っぽい腺は、丸瓦の間に敷かれた平瓦で、平瓦に目地漆喰はないためです。

 

左の写真は、西の丸を囲んでいる城郭で、左がワの櫓、右がカの櫓です。
右の写真は、上山里丸を囲んでいる城郭で、左の1段高い所がリの二渡櫓、その隣の低い所がリの一渡櫓、
その先の角の所がチの櫓です。その右手に見えているのは、西小天守で、大天守の一部が端の方に見えています。



三の丸広場から見た大天守とその左側の城郭です。
左端の横に長いのは菱の門で、姫路城の数ある門の中でも最大の門で、大変豪華な造りとなっています。
その上部で斜めに見えているのは化粧櫓で、本多忠刻と再婚して姫路城で約10年間過ごした千姫のために造られました。
大天守の右下、角に見えているのは太鼓櫓(たいこやぐら)/ヘの櫓で、その右下が帯郭櫓(おびくるわやぐら)です。

 

桜門橋の右手に続く内堀とその石垣です。左の写真には、大手門(桜門)が見えています。
内堀は、右の写真の石垣の角の所で折れて、右奥の方に続いています。

 



上記の内堀沿いに歩き、さらに5分程道路沿いに進むと城見台公園に着きます。
そこに設置されている姫路城大天守の鯱のレプリカ、その尻尾の所に銘が刻まれています。
この1対の鯱は、姫路の光洋製瓦株式会社が製作し、寄贈したものだそうです。
この鯱1尾で、高さ190cm、重さ250Kgあり、同じものが後ろに写っている大天守の上に乗っています。


秋の姫路城 [2009/11/25]

秋も遅くなってしまったのですが、紅葉の姫路城を見たいと思い、出かけました。
平成の大修理が2009年(平成21年)10月9日から始まり、大天守が見られなくなるためです。
まだ、準備期間中ということで、工事が始まったようには見えませんでした。
しかし、来年の4月から素屋根の工事が始まり、徐々に大天守が覆われていく予定でした。
そのため、秋の大天守を見ることができるのは、今回を逃すと工事が終わるまで待たなければなりません。
それで、少し遅めでしたが、紅葉の姫路城を見たいと出かけたしだいです。
少し遅めだったのが良かったのか、紅葉や黄葉がみごとな色付き具合で、十分に楽しめました。

 

左は大手前通りから姫路城方向を撮ったもので、右手のイチョウ並木の黄葉が見事でした。
右は三の丸跡の三の丸広場から撮った大天守です。中ほどにあるイチョウの黄葉が一際目立ちました。
公園の外れにモミジの紅葉も見られますが、紅葉が霞んでしまうほど、見事な黄葉でした。

 

順序が逆になってしまいましたが、内堀の外から石垣越しに見た大天守です。
石垣の後ろに見えているのは紅葉した桜ですが、かなり落葉していて、上部がちょっと寂しくなっていました。
石垣の上部に黄葉した葉が見えていますが、葉の形からアカメガシワ(春の新葉は赤い)と思われます。
手前に見えている桜門橋は、昨年の写真と比較すると上面が黒くなり、幾分、古びてきました。
右の写真は、桜門橋の右手の石垣ですが、桜の紅葉とアカメガシワの黄葉が続いています。
右側に写っているのは、おそらく紅葉したメタセコイアだと思われます。

 

三の丸広場の周囲には多くの桜が植えられており、春の桜の季節には大賑わいとなります。
その桜が秋には紅葉を見せてくれます。ちょっと遅かったようで、上部が落葉して寂しくなってますね。



三の丸広場は、一部は芝生の広場となっていますが、その内側には植栽はほとんどありません。
あるのは1本のイチョウの大木だけなので、その黄葉が非常に目を引きます。
奥の方にモミジの紅葉が見られますが、この位置からではその紅葉も霞んでしまいます。

 

三の丸広場の外れまで行くと、紅葉の赤が目立ってきます。
紅葉と大天守を写したいと思ったのですが、周りに常緑樹があるのでちょっと控えめです。
ではと、さらに近づくと紅葉はみごとな写りとなりますが、大天守が見えなくなります。
手前のチの櫓が大天守を隠してしまうため、このアングルで両方を入れるのは無理なようです。

 

姫路城大天守の鯱は、1803年製の江戸時代のもの、1910年製の明治のもの、1958年製の昭和のものがあり、
現在は、傷みのひどかった昭和の鯱瓦をコピーした平成の鯱瓦となっています。
その平成の鯱瓦は2対4尾が制作され、出来上がりの良い2尾が使用されているそうです。
なお、鯱瓦は、奈良の山本瓦工業と姫路の光洋製瓦株式会社の鬼師が、奈良に集まって製作したとのこと。
話は変わりますが、大手門から徒歩5分ほどの城見台公園に、復元した鯱瓦が展示されています。
この鯱には、「平成元年1月 構井一巳 作」と銘が入っていました。姫路で作成され、寄贈されたようです。
その1対の鯱の間から大天守が望めるため、上記のような面白い写真が撮れます。
人は入れていませんが、うまくポーズを付けると面白い記念写真が撮れると思います。

冬の姫路城 [2008/1/1]

たまたま、正月に時間が取れたので、姫路城に出かけてみました。
こんな日に出かける人はそう多くないだろうと思っていたのですが、意に反して結構な人出でした。



姫路城を内堀の外から撮ったものです。左手の端が「桜門橋」で、右手が大手門と呼ばれている「桜門」です。
内堀の石垣越しに姫路城の大天守、小天守、チの櫓が見えています。
なお、桜門橋は発掘調査で出土した遺構を生かして、2007年(平成19年)に復元されたものです。
コンクリート造りですが、復元されて間もないため覆っている木が、真新しいですね。
また、桜門も比較的新しく、1938年(昭和13年)に建設されたもので、高麗門という形式で作られました。
往時は、橋を渡った所に小さめの桜門、その奥に桐の二門、さらにぐるっと回った所に桐の一門があったそうです。
橋と複数の門、曲がった通路を組み合わせて侵入しにくくし、厳重な防御が行われていたようです。



大手門を入ると三の丸跡ですが、そこから撮った大手門(桜門)が上記の写真です。
高麗門というのは、扉を内側に開けたときに扉を雨から守るための控屋根を両側に取り付けた形式の門です。
門の裏側、左右に門の扉を雨から守る控屋根があるのが良く分かりますね。


<り一渡櫓  チの櫓   西小天守      大天守>     .

<カの櫓                                 ヌの櫓>

三の丸跡から見た天守閣方向とその左手のヌの櫓からカの櫓方向を撮ったものです。
見ての通り、正月早々から多くの人が訪れていました。


護国神社(白鷺宮) [2015/7/20]

兵庫縣姫路護國神社が正式名称ですが、一時、白鷺宮(しらさぎのみや)と改称していた時期があります。
護國神社は、全国に52社あり、祖先や共同体に尽くした人々を神として祀っています。
同時に、子孫やその共同体を守ってくださるという古来日本人の宗教観、祖先感に根ざしたもので、
その伝統的習俗を基に、明治になって建立された神社です。
この護国神社は、内務大臣の創立許可を得て1938年(昭和13年)4月27日に、招魂社として竣工。
1939年4月1日に、内務省令に基づき、兵庫縣姫路護國神社に改称されました。

 

大手門から内堀沿いに東に進むと、護国神社が見えてきます。
その入り口鳥居横に昭和天皇の読まれた歌が書かれた立派な駒札が置かれていました。
奥の方に本殿が見え、本殿の中で祭事が行われているようでしたので、中には入りませんでした。









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