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更新:2023/10/23
曽根天満宮(そねてんまんぐう)
<兵庫県高砂市曽根町>



曽根天満宮は、兵庫県高砂市曽根町にある天満宮です。

神社由緒では、菅原道真公が大宰府に左遷される際に、氏子地域に立ち寄ったことを由来するとのこと。
伊保港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上に小松を植えられた。
これが霊松(れいしょう)曽根の松で、初代は1798年(寛政10年)に枯死し、現在も幹が保存されています。
実生した二代目は、1924年(大正13年)に国の天然記念物に指定されました。
しかし、二代目も1952年(昭和27年)に枯死し、現在の松は五代目となっています。
菅原道真公の四男淳茂公(あつしげこう)がこの地を訪れ、
父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされています。
しかし、1578年(天正6年)の豊臣秀吉の播州征伐の際、兵火にかかり社殿が焼失しています。
その後、1590年(天正18年)に寺沢越中守を奉行として本殿が再建され、社領10石が寄せられました。
1609年(慶長14年)には、徳川家康の息女で姫路城主池田輝政の側室である督姫の寄進により拝殿が建立されました。
1648年(慶安元年)には、3代将軍家光が朱印領30石を寄せ、以後累代の将軍がこれに習っていました。

この曽根天満宮でもいろいろな祭事が行われますが、秋季例大祭が見事です。
この辺りの秋季例大祭は、下記のように少しずらして行われています。
以前は曜日に関係なく特定に日に実施されていましたが、最近は、一部が人の集まりやすい日に変更されています。
高砂神社(10/10〜11)
荒井神社、小松原三社大神社、米田天神社(体育の日の前々日、前日)
曽根天満宮(10/13〜14)
大塩天満宮(10/14〜15)
生石神社(10月第3土曜日、日曜日)

秋季例大祭の見ものの1つが屋台で、大きな屋台の練り合わせは、勇壮で、見応えがあります。
多くの屋台は神輿屋根ですが、曽根天満宮の屋台(地元ではヤッサと呼ぶ)は、少数派の反り屋根型布団屋根です。
この布団屋根は曽根天満宮が発祥地であり、姫路市別所町の宮大工に作らせたのが起源とされています。
4隅が反り返った3段布団が特徴で、3段垂木に海老、鯱、飛龍などの梵天が付いて豪華です。
さらに、最近はLEDなどの電飾が施されて、夜でも楽しめるように手が加えられています。
屋台の4本の柱間は二尺八寸(84.84cm)で、二と八を重ねると鳥居の形になるからだそうです。
この4本の柱の中心に太鼓が置かれ、4人が乗り込んで太鼓を打ち、屋台後方の乗り子がリーダーです。
これらの屋台(2t強)を50〜60人ほどで担ぎ、太鼓の打ち方で屋台を練り合わせたり、差し上げたりします。
屋台は氏子地区から11台が出ていたのですが、担ぎ手不足からか、今年は10台でした。
それに子供屋台(乗り子は子供ですが、担ぎ手(練り子)は大人)が加わります。今年は2台出ていました。
子供屋台とはいっても、一回り小さいだけですから、子供では担げません。

< トピック >

今回、2023年の屋台の地区巡行/帰還の写真を追加しました。

曽根天満宮
インデックス


曽根天満宮 秋季例大祭
<宵宮 令和元年10月13日>

今年の秋季例大祭は、諸般の都合で10月13日の宵宮に午後から出かけました。
遠くからでも太鼓の音とヨーイヤサーの掛け声が聞こえてきます。
秋季例大祭に出かけるのは、実に30年ぶりでしたが、その頃と全く変わっていません。
神社に近づくと、音は一層大きくなり、人手も多く見られるようになりました。
神社の本門をくぐると、久々に見る反り屋根型布団屋根の屋台が目の前に止まっていました。
宮入を済ませ、これから本殿横の練り合わせを行う場所に移動するようです。
本殿横には、本殿の左手から裏をぐるりと回らないと行けないので、途中に数台が止まっていました。
本殿横には、既に7台の屋台と、2台の子供屋台が入って、数台が練り合わせを行っていました。
担ぎ手(練り子)や世話役、見物客などで、本殿横は移動が困難なほどに込み合っていました。
練り合わせをしばし見学し、その後、本門に移動して、一ツ物の宮入り、神事竹割りを見学してきました。

大人屋台 宮入り




秋季例大祭の宵宮では、午後から子供屋台、大人屋台の順で、宮入を行います。
本殿の正面から本殿右横の広場まで、屋台は本殿を左横から裏をぐるりと回って移動します。
上記は、本殿正面、左横、裏手で移動途中の大人屋台です。
反り屋根型布団屋根の上面は市松模様がほとんどですが、伊保南部の屋台は雪を頂いた富士山になっています。


大人屋台 練り/練り合わせ



広場に入った屋台は、広場の端に設けられた専用台に乗せるのですが、そこへ行くまでに練り合わせをします。
上記は、3台の大人屋台が練り合わせを行い、それを多数の見物人が取り巻いて、大混雑している所です。
練り合わせをしている3台の大人屋台の右手に見えているのが、2台の子供屋台です。
見てわかる通り、子供屋台と言っても決して小さくはありません。見た目もほとんど変わりません。
一回り小さいのですが、高さが1mほど低く、飾りが若干簡素化されています。
話は変わりますが、屋台の周りにある色とりどりの棒の先に丸く開いている物は、「シデ(紙垂)」と言います。
長さ2mほどの青竹の先に、色紙を取り付けて、花のように丸く開いたもので、魔を払う道具です。
シデの色は、氏子毎に決まっています。最近は、人造の竹にLEDを組み込んだものもあるようです。
ちなみに、祭りの期間中、氏子の家に青竹を立て、注連縄(しめなわ)で結びますが、注連縄に垂らすのも紙垂です。





集まった屋台の練りや練り合わせが何度も行われ、順次、所定の停止位置へ移動していきます。
時折、中下段左のように重い屋台を支え上げてしばし静止させる「差し上げ」や前後左右の揺さぶりなども行います。
話は変わりますが、播磨の祭りでは、担ぎ手(練り子)は廻しを締め、揃いの法被に地下足袋というのが定番です。



屋台の指揮は、屋台の前で拍子木を打つ人、屋台の上でシデを振る乗り子が行っています。
所定の位置に来ると、指揮者の合図で前後左右に微調整し、練り子が台を指し入れて、屋台を下ろします。




所定の停止位置は、氏子毎に予め決められていて、その位置に順番に入れていきます。
停止位置に屋台が順次入って行き、並んだ屋台の台数が増えてくると壮観です。
担ぎ手(練り子)は、ここで一息入れ、この後の宮出しに備えます。夜用に装飾を切り替える屋台もあります。


子供屋台 練り出し/宮出し




大人屋台が全て所定の位置に入り終えると、子供屋台が練り出してきました。
担ぎ手(練り子)の数は、大人屋台の7〜8割程度でしょうか。乗り子と太鼓の奏者は子供です。
今回の子供屋台は2台で、内1台の乗り子の一人は女の子(下段右側)でした。
2m近く差し上げられ、振り回されるのは怖いと思うのですが、男の子に負けず劣らず、頑張っていました。



1台が宮出しした後、子供屋台と同じ氏子の大人屋台が練り出してきて、練り合わせを始めました。
左が子供屋台で、右が大人屋台です。見た目はほとんど同じで、一回り小さいだけです。
この練り合わせの後、子供屋台は神社を出て、戻って行きました。

この後、大人屋台の練り出し、宮出しが続くのですが、一ツ物の宮入が始まるので、そちらに移動しました。


一ツ物 宮入り

一ツ物(ひとつもの)神事は、曽根天満宮 秋季例大祭において最も重要な神事です。
一ツ物という言葉の由来は定かではありませんが、下記の意味があると思われます。
『万一の事故があっても他に変わることのできない唯一のもの』

なお、一ツ物とは、祭礼に特別の扮装をして馬または肩車に乗って登場する児童のことです。
10月13、14日の両日とも氏子の曽根・伊保・東西阿弥陀の4町から格一人ずつ選ばれます。
青、赤、黄などの裾長の狩衣(かりぎぬ)を着て、山鳥の羽を立てた花笠をかぶります。
手には中啓(ちゅうけい)という扇を持ち、化粧した額に「八」の字が描かれます。
なお、行列には御幣、尾花、傘、刀などが付きます。

祭りとは、神々をお迎えして神饌(しんせん)をお供えし、神と饗宴を共にした後、再びお送りするものです。
その中で、一ツ物頭人には神様が憑依しているとして、目に見えない神様の姿を具現化したものです。
そのため、その子供が無意識に発する言葉を神の意志として受け取っていたようです。
一ツ物は神様と同じ扱いのため、馬に乗せたり、肩車をして地面に足をつけないように大切に扱わます。

この祭礼には、一ツ物とは別に行事と呼ばれる児童が登場します。
一ツ物が山鳥の羽を頭につけ、尾花を持っているのに対し、行事は烏帽子に浄衣(じょうえ)を着ています。
一ツ物が神の意志を告げる側で、行事はその聞き取り役であったと推察されています。

一ツ物神事に付随するのが、竹割りです。一ツ物宮入りの前に行われます。
宵宮では、高張提灯や飾りを付けた長さ10m余りの青竹が、本門の前に立ち上げられます。
そして、、竹割りが行われますが、高張提灯や飾りの大半は振り落とされてしまいます。
その後、竹を倒して、本門から境内に入り、再び、青竹が立ちあげられ、竹割りが行われます。
この竹割りの際に歌われるのが、播州地搗歌(じつきうた)で、歌の合間に地面に打ち付けられます。
この時、本門に一ツ物がスタンバイし、竹割りが終わるのを待ちます。
宵宮では、竹を上下に振って、竹を地面に打ち付けますが、竹が割れないように加減しています。
割れそうになると、竹が地面に付く前に止め、再び振り上げるような工夫もしていました。
竹割が終わると、竹を立てたまま、そっと横移動させて、竹を立てる台に固定します。
これが終わると、一ツ物が本門から本殿に向かって進んでいき、本殿で神式が行われます。
今回は見られませんでしたが、一ツ物の宮出しの際には、再び竹割が行われ、今度は粉々に砕かれます。

この一ツ物神事は、翌日の本宮でも行われますが、本宮では青竹に大幟が付けられます。


   <本殿>                     <本門裏手>

<本門>
屋台の練り合わせが行われている広場から、本殿の方に移動すると、こちらは閑散としていました。
一ツ物神事が始まるまで、しばしの静寂といったところでしょうか。




一ツ物神事では、最初に竹割り用の高さ10mあまりの青竹が入ってきます。
そして、それが立ち上げられ、倒れないように4本の引き綱で四方から支えられます。
播州地搗歌を歌いながら、その合間に根元に付けられた十数本の綱で、青竹を引き上げて地面に打ち付けます。
竹の上部に付けられた高張提灯や飾りは、最初の数振りで千切れ飛んでしまいます。



その後、竹が倒されて本門から境内に運び込まれます。


 

竹が通り過ぎると、一ツ物が肩車されて本門に入ってきて、竹割が終わるのを待ちます。
以前は馬に乗っていたと思うのですが、もう、馬がいないので肩車になっています。



境内に入った竹は、再び立ち上げられます。立ち上げられた青竹に、氏子がよじ登って行きます。
上まで登った後、降り始めた途端に、落ちるように一気に降り、下で受け止められました。
その後、播州地搗歌を歌いながらの竹割りが始まり、割れない程度に打ち付けた後、立てたまま移動します。
竹の固定台まで移動させた後、台に固定して、一旦、竹割りは終了します。



竹割りが終わって所で、一ツ物が本殿に向かって、ゆっくりと進み始めます。
本殿か近づいたところで、一斉に走り出し、本殿に転がり込むようにして一ツ物(稚児)を渡します。
その後、本殿の中で神式が執り行われますが、ここで時間切れで神社を後にしました。


大人屋台 練り出し/宮出し




帰り際、練り合わせを行っていた場所に行くと、既に練り合わせを終え、宮出しの最中でした。
暗くなってきていたので電飾が灯され、昼間とは異なる雰囲気の屋台になっていました。
威勢の良い掛け声も昼間ほどにはなく、比較的静かな雰囲気で神社を後にしていきます。
移動用の車輪に載せられた屋台もあり、山車のように引かれて神社を後にして行きます。



神社の境内を出ると、まだ、竹割りの神事が行われていて、それが終わるのを待っている屋台がいました。
周りの露店は200軒ほど出ているそうで、それらにも灯が入って、宵宮は22時近くまで続きます。


屋台の地区巡行/帰還
<令和4年10月13日、14日>



<地区内の巡行 10/13>
地区内の巡行では、シデを振る乗り子は子供が務め、屋台を引くのに子供も参加します。
地区の子供にとっては、秋季例大祭が晴れ舞台となり、親も力を入れています。
ただ、昔とは異なり巡行するルートには電線などが張られているので、常に上には注意が必要です。
通過できないときのため、ケーブルを上に持ち上げる道具を持った担当者が控えています。



<地区内の巡行 10/14>
出来るだけ多くの家々の前を通るように、前日とは異なるルートを巡行して行きます。
この日は踏切を渡る必要があったので、架線を保線担当の方が専用の器具で吊り上げていました。
架線は高電圧がかかっているので、事故が起きないよう鉄道会社に依頼しているようです。


<宮出し後の帰還 10/14>
宮出しの後、屋台を保管している蔵まで戻るのですが、帰ってくるのは9時頃になります。
最近は電飾されているので、昼間とは違って夜の方が派手な演出になっています。
子供もアドレナリンが出ているのか、とても元気にシデを振っていました。


<水神さんも秋祭りモード>
秋季例大祭の期間は、地区の水神さんも秋祭りモードになっています。

<令和5年10月13日>



<地区内の巡行 10/13>
地区内の巡行では、シデを振る乗り子は子供が務め、屋台を引くのに子供も参加します。
上段左の写真は角を曲がっている所で、車輪は首を振らないので、押しながら力任せに曲がっていきます。
上段右や下段左の写真は途中で休憩している所で、このときに太鼓を打つ子やシデを振る子も入れ替わります。
今年はシデを振るのに女の子も参加していて、休憩時に前後で男女が入れ替わっていました。


<宮出し後の帰還 10/13>
宮出しの後、屋台の保管蔵まで戻るのですが、帰ってくるのは8時頃(本宮のときは9時頃)になります。
帰還のときに提灯が先導していきますが、今年は、歩くだけでなく、飛び跳ねている子もいました。
疲れてぐったりしている大人がいるのに、子供は元気だね〜。

翌日の本宮でも地区内巡行後に宮入りするのですが、雨のためにビニールを被せての巡行となりました。
雨がひどかったので行事自体が早めに行われ、いつもより早い帰還となったようです。









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