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沖縄を巡る旅 [2009/3/6〜8]



九州より南に行ったことがなかったので、沖縄に行くことにしました。
空路、沖縄に飛び、那覇空港から沖縄の旅が始まりました。

着いた日は、近隣の泡盛工場や琉球ガラスの工房、ひめゆりの塔などを訪れました。
夕方、琉球料理と琉球舞踊がみられる「四つ竹」に行き、料理と舞踊を堪能しました。
琉球舞踊の四つ竹は、独特の衣装もですが、踊りそのものが優美ですね。

2日目は、首里城から古宇利島、美ら海水族館、琉球城、万座毛と周り、恩納で宿泊。
私の実家が姫路に近いので、城といえば姫路城のイメージしか思い浮かびません。
その姫路城とは、石垣の形がまったく異なり、赤を基調とした建物も全く異なっていました。

3日目は、琉球村から黒糖工場、国際通りを散策し、知念半島で沖縄の海を観賞。
その後、おきなわワールドの玉泉洞でいろいろな鍾乳石を楽しみました。
鍾乳洞は、福島県のあぶくま洞、山口県の秋芳洞に続いて、3つ目の鍾乳洞になります。
各々、特徴がありますが、玉泉洞のリムストーンはこの中でも最大級のものでした。

これで今回の沖縄観光はおしまい。那覇空港に向かい、空路、帰路に付きました。



沖縄を巡る旅
インデックス


泡盛酒造所見学

沖縄のお酒といえば、泡盛以外に思い浮かびませんね。
ということで、沖縄に着いて最初に訪れたのは、那覇空港に近い泡盛酒造所「比嘉酒造」さんでした。
バス停のすぐ前に「君知るや名酒あわもり」を刻まれた石碑が建っていました。
発酵学の権威、坂口謹一郎東京大学名誉教授が雑誌と論文にて発表され、一躍有名になった言葉です。
世界で唯一の黒麹菌の大宝庫である沖縄、その黒麹菌で造った泡盛はゆるぎない名酒であると明言されたとか。
酒造業界では「酒の神様」と敬われている方の論文なので、このことが泡盛の名を一躍有名にしたそうです。
この黒麹菌は焼酎にも使用されており、名前に「黒」を入れている焼酎がありますね。
泡盛は黒麹のみを使用しているようですが、焼酎は黒麹、白麹、黄麹が使い分けられているようです。



比嘉酒造さんに着いて、バスを降りると目の前にあったのがこの石碑です。
「君知るや名酒あわもり」 これが泡盛を世に知らしめた名言と、ここで初めて知りました。
そして、泡盛にも古酒があること、その口当たりが大変良く、飲みやすいことも知りました。
日本酒にも古酒があり、飲んだことがあるのですが、泡盛の古酒は初めて飲みました。
で、思わず購入してしまいました。

琉球ガラス工房

次の訪れたのは、琉球ガラスの工房です。
工房の方で、ガラスを炉から取り出し、吹いて膨らませたり、型に押し当てて整形したりしていました。
ガラスの溶ける温度は700℃以上なので、工房内はかなり暑くなっていました。
琉球ガラスは、戦後の資源難のおりに捨てられた空き瓶を溶かして使ったのが始まりとか。
雑多な空き瓶を再利用したため、多彩な色合いとなり、混入した気泡と相まって、独特な味わいとなっています。

 

奥に見える溶解炉から、吹き竿の先にガラスを巻き付け、鉄板や型を使って形を成型していました。
その後、吹いて膨らませた後に型に入れて成型したり、道具で形を成形したりしていました。

 

コップや花瓶なども実にカラフルで、手吹きなので同じものがないのが良いですね。
カラフルで日常使いしやすそうな左のガラスコップを、グラデーションを合わせて買ってきました。

 

こちらはカラフルさを生かした装飾品です。
これらも1つずつ手作りしたものを、組み合わせて造られているみたいです。

ひめゆりの塔

ひめゆりの塔(ひめゆりのとう)は、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑です。
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんものです。
沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」を組み合わせたもので、
元は「姫百合」であったものが、戦後、ひらがな表記されるようになったそうです。
壕は深さ14mあり、当時はハシゴで昇り降りしていたそうです。

 

この豪には、大勢の傷病兵や看護するひめゆり学徒、病院関係者、住人の方々100名ほどがおられたそうです。
そこに米軍のガス弾攻撃があり、80名余りが亡くなられたとのこと。
戦争の悲惨さを思い知らされる場所の1つですね。
多くの千羽鶴などが吊るされ、今も悲しみが続いていることが分かります。

琉球舞踊

すっかり夕方になってしまったので、夕食を食べながら琉球舞踊が見られる「四つ竹」さんに向かいます。

琉球舞踊とは、琉球、特に現在の沖縄県内で継承されている踊りの総称となっています。
通常は、三線(さんしん)、箏(こと)、笛、太鼓、胡弓(こきゅう)で演奏される琉球古典音楽に乗せて踊られます。
元は、男性のみによって踊られていましたが、明治以降、多くの女流舞踊家が誕生しています。
近年は、若手実演家育成により多数の男性舞踊家も誕生しています。
琉球舞踊は、古典舞踊、雑踊り(ぞうおどり)、創作舞踊に大別されます。
女踊りは、古典舞踊を代表する踊りで、独特の衣装が特徴となっています。
紅型(びんがた)と赤地の胴衣(どぅじん)、下半身には裙(かかん)を着け、腰に巻いた紫帯に紅型の襟袖を挟みます。
さらに前壺折り(めーちぶり)の着付けに赤足袋を履き、髪は垂髪(かむろう)を結い、
椿や牡丹をあしらった前花と呼ばれる花飾りや熨斗、ばさらといった髪飾りを付けます。
雑踊りは、庶民の生活や思いを主題とした踊りで、躍動感溢れる軽快な踊りが特徴です。
衣装は、素足または白足袋に、芭蕉布や絣など日常の着物で踊られます。

琉球舞踊ではありませんが、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能エイサーも踊られました。
祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩いたものだそうです。

 

女踊りの内の1つ、店名でもある「四つ竹(ゆちだき)」です。優美な踊りですね。
琉球舞踊の衣装といえばこれ。これ以外はパッと出てこないほど、知られている衣装ですね。

 

取って代わって、雑踊りです。演目はちょっとわかりませんでした。

 

最後に踊られたのはエイサーでした。
太鼓を打ちながらの激しい動きで、思わず、箸が止まってしまいました。

これらの踊りを見ている間も、次々と伝統的な琉球料理、てびちやらふてーなどが運ばれてきました。
あっという間に時間が過ぎ、琉球舞踊と琉球料理を堪能して、1日目は終わりました。

首里城(しゅりじょう、スイグスク)

首里城は、琉球王朝の王城で、中国の城の影響を大きく受けています。
門や各種の建築物は漆で朱塗りされており、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われています。
各部の装飾には国王の象徴である龍が多用され、城郭は他のグスク同様、琉球石灰岩で積み上げられています。

奉神門を抜けるとストライプ模様の御庭(うなー)に入りますが、中央の道は浮道(うきみち)といいます。
その浮道の正面が王の居住する正殿(せいでん)で、その両脇に南殿と北殿があります。
南殿は、薩摩藩の接待のため使われましたので、ここのみ和風の意匠が用いられています。

正殿は、木造の三階建で、一階は下庫理(しちゃぐい)と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
二階は大庫理(うふぐい)と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場でした。三階は通気用の屋根裏部屋です。
正殿正面には唐玻豊(からはふう)という弓なりにカーブした屋根が使用されています。
これは日本の寺社や城にみられる唐破風(破は縁起が悪いと玻を当て字で使用)と同じものです。
ただ、本来は後ろまで弓なりのカーブが続くのですが、首里城では見えない後は三角屋根になっています。
正面、石段の両脇に龍の彫刻である大龍柱(だいりゅうちゅう)が、奥の方に小龍柱(しょうりゅうちゅう)があります。

※ 以下は抜粋したもので、首里城の詳細に関しては、こちらをご参照ください。

2日目は、首里城の見学です。奉神門(ほうしんもん)の御開門(うけーじょー)は朝しか見られないので急ぎます。
バスの駐車場から守礼門(しゅれいもん)を通り、歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)と続きます。
瑞泉門を抜けると内郭で、漏刻門(ろうこくもん)、広福門(こうふくもん)を抜けると下之御庭(しちゃぬうなー)です。
ここで、御開門が行われるのを待つことになります。時刻が決まっているので、間に合うように急ぎます。



バスを降りて、最初に見えてくるのが守礼門です。首里城とくれば、必ず出てくるものですね。
守礼(しゅれい)は「礼節を守る」という意味で、門の扁額(へんがく)には「守禮之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。
首里城は石垣と城門が多いのですが、その中でも代表格の門で、中国の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されています。
古くは「首里門(しゅりもん)」といわれていましたが、その愛称は「上の綾門(いいのあやじょう)」だったそうです。



歓会門(かんかいもん)を通り、しばらく進むと右手に瑞泉門(ずいせんもん)が見えてきます。
石段を上がり、この瑞泉門を抜けるといよいよ内郭に入ります。
瑞泉門の左右に城壁が見えますが、角が反り上がった独特な形をしています。
使われているのは琉球石灰岩だそうです。



漏刻門(ろうこくもん)を抜けると左手に供屋(ともや)、その右上に北殿、右手に広福門(こうふくもん)が見えます。
広福門(こうふくもん)の内側が下之御庭(しちゃぬうなー)になります。

 
<奉神門(ほうしんもん)>

下之御庭の正面にデンと構えているのが、奉神門で、その内側が御庭(うなー)になります。
ここで、御開門が行われるのを待ちます。
奉神門の前には、左右に門番が立ち、琉球王朝時代の役人に扮した方が現れました。
時間になると、やおら銅鑼(どら)をドン、ドン、ドドドドド、ドーンと打ち鳴らします。
そして、打ち終わると「御開門(うけーじょー)」の発声で開門です。



正殿は、本土で見られる城郭で言えば、天守閣に該当するのでしょうか。
赤く塗られた柱や壁、壁面のカラフルな装飾などは、どちらかといえば日光の東照宮に似ているかもしれません。
屋根の上には龍が乗っていますが、本土の城郭の場合は鯱が乗っていますね。
本土で見られる城郭の1つ、姫路城と比較してみてください。

 
<一階の御差床>                      <二階の御差床>


<国王の椅子>

一階と二階の両方に御差床(うさすか)という玉座が設けられ、その背後の障子戸の裏に階段(おちょくい)があります。
御差床の左右にある柱には、龍が描かれ、その周りには雲が描かれています。
二階の御差床には国王の椅子が置かれ、その上には清国皇帝から贈られた扁額が飾られています。

正殿を見学し、久慶門を出ると、首里城ともお別れです。守礼門を通って、バスに戻りました。

万座毛(まんざもう)

万座毛は、国頭郡恩納村にある景勝地で、東シナ海に面し、沖縄海岸国定公園に含まれます。
岩の上に芝の草原があり、海岸の絶壁には象の鼻の形の岩があります。
琉球王朝の時の王である尚敬王が、「万毛」と評したことが、名前の由来といわれています。
毛とは草原の事で、万毛とは1万人が座れるほど広い草原という意味です。
草原の芝は、主にコウライシバで、これにナハエボシグサ、シオカゼテンツキなどが混生しているそうです。
周辺には、モンパノキやクサトベラなどの海岸性の低木が群落を作っています。
沖縄の隆起珊瑚礁では芝の草原は珍しくないのですが、この万座毛は最大規模を誇っています。
この地域の海岸崖地には、イソノギクなどのこの地域固有の特殊な植物が分布しています。
そのため、万座毛石灰岩植物群落として、沖縄県指定天然記念物に指定されています。

 

コウライシバはゴルフ場で使用されるシバの1種ですが、ここは天然のコウライシバの芝原です。
樹の幹が見えているのはアダンの木です。花が咲くのは夏なので、この時期は葉のみのようです。
左の写真の右の方ですが、緑色の葉が茂っている所は、おそらくモンパノキとクサトベラの群落です。
葉は多肉質で、表裏とも細かい毛が密生してビロード状、若葉は食用となります。

※ アダンなど植物の詳細に関しては、こちらに紹介させていただいていますので、ご参照ください。

 

万座毛の海岸に見られる隆起珊瑚の絶壁で、高さは20mほどあります。
有名なのは右の写真の象の鼻のような奇岩です。アクア〜ラピス・ラジュリ色の海と白波もよく合ってますね。


<ANA Manza Beach Resort>

万座毛から見える対岸には、白いANA Manza Beach Resortが見えます。
万座毛の断崖絶壁ではなく、奇麗な砂浜も見えます。こんなホテルでのんびりできたら最高でしょうね。

 
<トベラ岩>

そのホテルの右の方に見えるのがトベラ岩です。沖縄の夫婦岩ですね。
この時には、注連縄で2つの岩が結ばれていましたが、戦後、しばらくはなかったそうです。
なお、大きい岩の上にクサトベラが着生していたことが名前の由来だそうです。

万座毛の散策を終え、バスに戻ります。この後は、ナゴパイナップルパーク立ち寄り、古宇利島に向かいます。

ナゴパイナップルパーク

ナゴパイナップルパークは、名前の通りパイナップル畑がありますが、それ以外にもいろいろありました。
それにしてもパイナップル畑は広いです。どれほど〜〜というくらい、パイナップルが並んでいました。
植物園内には、タコノキやブーゲンビリア、パイナップルの仲間など、色とりどりの花が見られました。
パイナップルも新鮮なものは、また、違った美味しさがあり、楽しかったです。

   
<パイナップル>           <タコノキ>             <アダン>  .

パイナップルは、パイナップル科アナナス属の多年草です。
果実はよく似ていますが、タコノキやアダンは、タコノキ科タコノキ属の常緑高木や小高木、つまり、木です。
熟すと黄色くなり芳香を放ちますが、食用にはしていません。

   
<グズマニア>

パイナップルと同じパイナップル科ですが、観賞用のグズマニア属の植物です。
中心から伸びる花苞がいろいろカラフルな色になり、数ヶ月は楽しめます。

   
<ブーゲンビリア>

色とりどりのブーゲンビリアが、たくさん花を付けていました。
なお、色の付いた花弁状のものは苞葉で、その中心にある小さな白いものが花です。

※ これらの植物の詳細に関しては、こちらに紹介させていただいていますので、ご参照ください。

古宇利島

パイナップルを楽しんだ後、古宇利島に向かいました。
国道58号線を、真喜屋の交差点で左折して、奥武島(おうじま)から屋我地島(やがじしま)へ向かいます。
この時、交差点を曲がって直ぐの海岸縁にある真喜屋干潟で、マングローブを見かけました。
屋我地島と古宇利島をつないでいるのが古宇利大橋で、全長は1960mあります。
古宇利島でバスを降り、海岸から古宇利大橋をながめましたが、なかなか優美な橋でした。



国道58号線を、真喜屋の交差点で左折して直ぐ、見えてきたのが真喜屋干潟(まきやひがた)のマングローブです。
思ってもいなかったところでマングローブを見かけ、思わず「こんな所で」とつぶやいてしまいました。
この辺りの海岸干潟には、マングローブが数ヶ所あり、その内の1つがこの真喜屋干潟の群落です。
生えているのは、ヒルギ科の3種(オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ)だそうです。
この真喜屋干潟のマングローブで、手前に見えているのは樹形からするとメヒルギと思われます。

 

奥武島を過ぎて、屋我地大橋にさしかかると、大きな砂州が見えてきました。
草木が生えており、ここにもマングローブがあるのではと思ったのですが、ここにはないようです。
しばらく走って、後ろの方を見ると屋我地大橋が左端に見えていました。

 

屋我地島を走っているときに見かけたサトウキビ畑です。
まだ、春先なのでサトウキビの背が低く、葉も若々しいですね。
そうこうしていると、前方に古宇利大橋が見えてきました。橋の手前からまっすぐな道ですね。

 

橋を渡り切った直ぐの所に駐車場があり、そこから古宇利ビーチに出ました。
そこからは古宇利大橋が良く見えていました。浜辺も素晴らしいグラデーションを見せてくれています。

 

古宇利ビーチからの眺望を楽しんだ後、古宇利島を後にしました。
古宇利大橋を渡っているとき、屋我地島の漁港近くにある小さな島々が見えてきました。
浅葱色の海がぼやっとした空に溶け込むような水平線に、島々が浮かんでいるようでした。

琉球城 蝶々園

古宇利大橋で屋我地島に渡った後、行きとは異なるワルミ大橋を使って戻ります。
向かった先は、琉球城の蝶々園です。蛹が金色のオオゴマダラがたくさん飼育されています。
その蝶々園でハウスに向かっているとき、屋外でオオゴマダラに遭遇しました。逃げ出したのでしょうか。
園内では、たくさんのオオゴマダラに出会えました。成虫以外に、幼虫や蛹にも会えました。

 

琉球城 蝶々園に着いて、オオゴマダラを見るために蝶々ハウスへ向かっていました。
そのとき、途中の通路先の葉に止まっているオオゴマダラに合いました。
この辺りはオオゴマダラの分布域内ですが、逃げ出したものか、天然ものか、どちらでしょうか。



ハウス内では、多くのオオゴマダラがフワフワと飛び交っていました。
葉に止まってじっとしているものや、花に止まって吸蜜しているものもいました。

 

右の写真では、造花にオオゴマダラがたくさん群がっています。普通にはあり得ません。
おそらく、オオゴマダラのオスはフェロモンでメスを引き付けるのですが、その応用なのでしょう。
多くの女性が、オオゴマダラが群がるブーケを持って、記念撮影をしていました。
左の写真は、オオゴマダラの蛹です。金色の蛹と言われるだけありますね。

※ オオゴマダラの詳細に関しては、、こちらに紹介させていただいていますので、ご参照ください。

美ら海水族館

2日目の最後は、美ら海水族館です。竜宮城 蝶々園からはバスで数分の距離です。

美ら海水族館といえばジンベエザメやマンタなどの大型魚で有名な水族館です。
巨大アクリルパネルを使った巨大な水槽を、8m超のジンベエザメなどの大型魚が泳ぎまわっていました。
また、行った当時は飼育されていて、現在はいなくなっている魚種もいくつかいるようです。

※ 以下は抜粋したもので、美ら海水族館の詳細に関しては、こちらをご参照ください。




沖縄美ら海水族館の正面に設置されているジンベエザメのモニュメントです。

 

大水槽のジンベエザメですが、やはり、その大きさには圧倒されますね。
プランクトンなどの小さな餌しか食べないとわかっていても、海で出会ったら逃げ出すでしょうね。

 

大水槽を泳ぐナンヨウマンタも人気者です。ジンベエザメほどではないにしても、大きいです。
頭にあるヒレを使って、プランクトンなどの小さな餌を流し込んで食べます。

以前、オニイトマキエイとして展示されていたのですが、2009年に異なる種類が混同されていると判明しました。
そのため、現在ではオニイトマキエイではなくナンヨウマンタと表記が変わっています。
しかし、私が訪れたときは、まだ、オニイトマキエイと表記され、パフレットもオニイトマキエイでした。
和名に関しても、リーフオニイトマキエイとするかナンヨウマンタとするか、混乱があったようです。

 
<チンアナゴ>                        <ニシキアナゴ>

砂地から頭を出してユラユラと体を動かすチンアナゴやニシキアナゴ。
流れてくる動物プランクトンを待つ、そのユーモラスな動きで人気者ですね。

2日目は、美ら海水族館を見学して終了です。今日の宿、恩納へ向かいました。

琉球村

3日目の最初は、琉球村です。恩納村にある沖縄伝統文化を体験できるテーマパークになっています。
かつては人が住んでいた多くが築100年以上の古民家9軒が移築され、国の有形文化財に登録されています。
また、30種以上の文化体験ができ、ハブとマングースの戦いも見ることができました。

 

琉球村に入って、少し進んだ所にあった大綱が飾ってある建物、レレレのおじさんの顔みたい。
1990年頃に那覇大綱引き使用された大綱で展示されていました。
黒服の人の肩幅の倍位の太さがある綱で、とんでもない太さです。ギネス認定されているそうです。

 
         <旧仲宗根家>                           <かまど>

筑後約213年の旧仲宗根家です。1984年に読谷村座喜味より移築した一般的民家です。
奥のかまどでお湯を沸かしていました。子供の頃、土間にあったかまどを思い出しました。

 
<旧島袋家と高倉>

筑後約156年の旧島袋家です。1982年に名護市羽地より移築した一般的民家です。
一緒に移築されたのが高倉です。4本柱の茅葺屋根の寄棟造で、壁がなく、床を思いきり高くした造りです。
風通りを良くして湿気を防ぎ、柱の上部にねずみ返しを付けるなど、穀物の保存用に工夫されています。

 
<旧玉那覇家で飼われていたヤギ>              <おばあのカチャーシー>     .

住居の一部でヤギが買われていたんですね。このような家畜小屋が多かったのでしょうか。
左は、頭に一升瓶乗せてカチャーシー踊るおばあです。慣れてるとはいえ、安定感は抜群でした。

黒糖工場見学

琉球村を後にし、沖縄にある黒糖工場の1つ、沖縄黒糖さんを見学しました。
表には、十本ほどを束ねたものが無造作に積み上げられていました。
それをそのまま圧搾機に入れ、出てきた絞り汁を濾過して、釜で煮詰めていました。
それを型に流し込んで、冷まして固まったものが黒糖です。



表に無造作に積み上げられていた、十本ほどを束ねたサトウキビです。

 

束ねたサトウキビをそのまま圧搾機に投入し、バリバリと絞っていました。
圧搾機の下からは絞ったキビ汁がどんどんと流れ出てきます。

この後、キビ汁を濾過して不純物を除き、窯に入れて煮詰めていきます。
灰汁を除きながら煮詰め、段階ごとに釜を移し、4番釜から型に流し込んで完成です。
冷えて硬くなった黒糖を適当な大きさに割ったものが製品ということです。

国際通り(こくさいどおり)

黒糖工場を後にして向かったのは、Tギャラリア沖縄 by DFSです。
日本国内唯一の免税店が並びます。ここで、以前から欲しかった鞄を購入(受取は空港内)しました。
そして、この後、沖縄一の繁華街、国際通りに向かいました。

国際通りは、那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りのことです。
沖縄県で最も賑やかな通りであり、那覇最大の繁華街でもあります。
「国際通り」の名は、1948年に建設されたアーニーパイル国際劇場に由来します。
その国際通りから分枝しているアーケード街に、平和通りと市場通りがあります。
お土産屋や衣料店などがずらりと建ち並んでいて、地元の人や観光客で賑わっています。



平和通り近くから見た国際通りです。道路上にはパフォーマーも居て、結構にぎわっていました。

 

平和通りに入ると国際通りとは異なり、ごちゃごちゃと店が並ぶ商店街そのものでした。
こういう雰囲気も嫌いではありません。どんな店があるのかとしばし散策しました。

国際通りを散策した後、向かったのは新原ビーチです。

知念半島 新原(みーばる)ビーチ

新原ビーチにはグラスボートがあり、それで海底を泳ぐ魚を楽しもうということです。

沖縄島の南部東岸にあり、中城湾に東北方向に突出した半島が知念半島(ちねんはんとう)です。
その知念半島の付け根辺りにあるのが新原ビーチです。
南部のビーチの中では透明度が良く、白い砂浜が広がっています。

 

新原ビーチのグラスボート乗り場です。透明度の高い、奇麗な砂浜でした。

 

グラスボートに乗ると、ビューポイントまではスピードを上げて一気です。
珊瑚礁近くまでくるとスピードを落として、海底のサンゴ礁や泳いでいる魚を眺めます。
魚も上から見ると色があまり見えないので、ちょっと寂しい色合いになってしまいますね。

テーブルサンゴなどはたくさん見られましたが、時期的なものか泳ぐ魚は少なめでした。
乗り場に戻り、最後の訪問先であるおきなわワールドの玉泉洞に向かいました。

玉泉洞(ぎょくせんどう)

おきなわワールド文化王国・玉泉洞。沖縄本島・南部を代表する観光スポットになっています。
「玉泉洞」が開園したのは1972年ですが、1996年にリニューアルした際に拡充されました。
目玉は、言わずと知れた鍾乳洞の「玉泉洞」です。
その全容が明らかになったのは、1967年3月に行われた愛媛大学学術探検部による調査によってです。
雄樋川が上流で流れ込み、これが洞窟内を流れて、下流で再び雄樋川に合流しています。
洞窟全体では総延長が5kmを超え、公開されている所はその一部である890mです。

※ 以下は抜粋したもので、玉泉洞の詳細に関しては、こちらをご参照ください。

 
  <槍天井>                        <白銀のオーロラ>

入り口を入って直ぐの所で見られる大量のつらら石。これを槍に見立てたのが「槍天井」です。
これが下がってくることはありませんが、下から見上げていると迫ってきそうで、ちょっと怖いです。
出口近くで見られる石柱が「白銀のオーロラ」です。
つらら石と石筍がつながったのが石柱ですが、横につながっているのをオーロラに見立てた命名でしょうか。

 
 <青の泉>                           <黄金の盃>

青の泉は広いリムストーンダムで、溜まっている水を水中から青く照らしています。
周りとブルーの照明がよく合っていて、幻想的な雰囲気を作り出していますね。
この一番下にあるのが「黄金の盃」で、周囲31m、高さ2.5mあり、日本最大規模とのこと。

たしかに、秋芳洞の百枚皿とか千町田に比べると、高さが段違いに高いですね。

 
 <石筍>                         <地煙の滝>

石筍は、入り口を入って直ぐの所で見かけたものです。広いホールの斜面に、ニュキニョキと立っていました。
入り口から1/3ほど進んだ所で見かけた「地煙の滝」です。奥に「竜神の池」があるようですが、良く見えません。
その竜神の池から流れてきているのか、鍾乳石の表面を水が勢いよく流れ下っています。
落差は余りありませんが、水しぶきを煙に見立てたものでしょうか。

玉泉洞の見学を終え、地上に戻ってきました。これで、沖縄の観光は終了です。
後は那覇空港に戻って、空路、羽田に戻るだけです。

那覇空港



那覇空港に着いたのは18時過ぎ。搭乗手続きを終え、空港内の免税店で購入した鞄を受け取りました。
駐機場の方に進んだとき、黄色い機体が目に入りました。よく見ると、ピカチュウジャンボでした。
使用されているのは、ボーイング747-481DのJA8957です。
このジャンボに乗るわけではありませんので、窓から出発を見送って、予定通りに帰路に付きました。










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