更新:2018/11/10

深大寺

2018/9/18

深大寺は、奈良時代の天平5年(733年)に、水神「深沙(じんじゃ)大王」をまつる寺として開かれました。
これは寺を開いた僧侶 満功(まんぐう)の両親が、深沙大王に仲を取り持ってもらった事に由来するそう。
その関係で、現在も縁結びの神様として、多くの男女から信仰を集めている。
平安時代に天台宗に改宗し、元三大師(がんざんだいし)像を奉安する。
江戸時代には、五十石の朱印地を与えられ、多摩川流域に約40の末寺を擁するようになる。

その深大寺の御朱印が欲しいと言われ、急遽、深大寺に行くこととなりました。
あまり調べもしないで出かけたため、隣の神代植物公園は休園日で見られませんでした。
ということで、深大寺の中をブラブラ散歩して、御朱印を頂き、名物の蕎麦を食べて帰ってきました。
行くときには、関連する部分もよく調べなくてはと、反省しきり.....


新宿御苑 インデックス
 
開山堂
元三大師堂
本堂
山門
蕎麦屋
境内や周辺で見かけた植物


開山堂(かいさんどう)

昭和58年の開創1250年大法会記念事業として新築された奈良時代様式の堂宇です。
本尊に薬師如来脇侍に弥勒菩薩千手観音を安置、開基満功上人、天台宗一祖契惠亮和尚の尊像を祀っています。

 

北門を入って直ぐ左手にある、比較的こじんまりとしたお堂です。

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元三大師堂(がんざんだいしどう)

慈恵大師(元三大師)像が安置されているのが、この元三大師堂です。
江戸時代の大師堂は、本堂の西南に東向きに建っていましたが、幕末の火災で類焼しました。
そのため、本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。
被災直後の慶応3年(1867年)に、本堂より先に復興されたのは、厄除元三大師の信仰の深さを物語っています。
昭和49年から平成元年までの数回の改造増築で、厨子を収まる所や両側の政所、縁の張り出しが行われました。





この元三大師堂の向かって右手に御朱印を頂く政所があり、そこで希望の御朱印を指定してお願いします。
この日は、待ち行列ができていて、数人の方が出来上がりを待っていました。



元三大師堂の向かって左手の方に小さな祠がまつってありました。
祠の中には、稲荷大明神と白山大権現と書かれた木の札が置かれていました。
稲荷神は農耕神であり、白山権現は白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。
神仏分離・廃仏毀釈によって白山権現は廃されましたが、一部には残っているようです。
深大寺はその中には無いようなのですが、どういった関係なのでしょう。
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本堂

江戸時代の本堂は幕末の火災で焼失し、本尊の阿弥陀如来像は再建した庫裡に仮に安置されていました。
大正8年に今の本堂が完成し、本尊の阿弥陀如来像は本堂に戻されています。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根だったのが、再建後は入母屋造りの棧瓦葺きになりました。
旧本堂の正面中央は、入母屋破風の向拝でしたが、今は唐破風の向拝に変わっています。
平成15年に、大屋根大改修工事が行われ、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きに変わっています。



 

本堂全体の様子とその正面にある唐破風の向拝の拡大写真です。
最も上側にある唐破風の破風板には鳳凰、その下の虹梁には上側に鶴、下側には龍の彫り物が見られます。



本堂の正面、山門との間に常香楼(じょうこうろう)が建っています。
天保4年(1833年)の建立当時は、唐銅(からかね)の大香炉の上屋として使用されました。
幕末の火災でも焼け残り、その当時の傷跡が、現在の北側の面に残っています。
小さな建物ですが凝った造りで、四隅には獅子鼻が付き、虹梁の上に蟇股、内部は格天井です。
軒は禅宗様の扇垂木(おおぎたるき)で、屋根は方形(ほうぎょう)造りの銅板葺きです。
屋根の中央には真鍮鋳物の宝珠が、四隅には心中鋳物の鳳凰の頭部が付けられています。
なお、焼香炉は、現在は開創1250年を記念して寄進されたものが置かれています。



本堂から見て左手に鐘楼があります。
文政12年(1829年)に建てられた旧鐘楼は幕末に消失し、明治3年(1870年)に再建されたのが現鐘楼です。
当初、入母屋茅葺きの屋根であったものを、昭和29年(1954年)に銅板葺きに変わっています。
梵鐘は、平成13年に新鋳された平成新鐘で、基壇上には反響用の瓶が埋められているそうです。

この鐘楼と反対側に釈迦堂があり、国宝の釈迦如来像が奉安されています。
釈迦堂は、この白鳳仏を安置する堂宇として昭和51年に新築されました。
この釈迦如来像と同じ工房の作とされる白鳳期の傑作3体の模造御分身も安置されていました。
なお、これらは撮影禁止なので、写真はありません。
3体の内の1体「聖観音像」が奉安されている兵庫県鶴林寺は、子供の頃、よく遊びに行っていた場所です。
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山門

深大寺の正門で、参道より一段高い寺の敷地の入口に建っており、正面には「浮岳山」の山号額があります。
幕末の火災でも焼け残り、現在、山内で最も古い建物となっています。
形式は、主柱を立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた薬医門とよばれるものです。
屋根は切妻の茅葺き。柱や梁などのケヤキ部分をベンガラで赤に、垂木などの杉部分を黒で塗ってあります。
このように彩色された建物は、、山内では山門が唯一の建物です。

 

本堂側から見た山門です。茅葺の屋根が苔むして、いろいろな雑草も見られます。
おそらく、こちら側の日当たりが悪くて苔が生えやすく、保水力が良いので草も生えやすいのでしょう。
柱などに塗られたベンガラが色あせたのか、赤というよりは茶色に見えます。
それよりも、切り口に塗られている白が目立ちますね。

 

山門を外の山道から見たものです。こちらには苔はなく、草もノキシノブ程度ですね。
両袖の塀が黒いので、山門の柱が幾分赤っぽく見えますが、どう見ても赤茶色です。
東京に残る江戸時代の建築物のなかでも、優れたものの1つだそうですが、なかなか立派な山門です。
山門越しに常香楼と、その奥に本堂が見えています。

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蕎麦屋

江戸時代、深大寺周辺の土地が米作に向かないため、小作人は蕎麦を作り、米代わりに蕎麦粉を寺に納めたそう。
寺では、その蕎麦粉で蕎麦を打って来客をもてなし、それが深大寺蕎麦の始まりと伝えられています。
深大寺蕎麦が有名になったのは、総本山 上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が、おいしさを言い広めたからだそうです。



深大寺の周辺には蕎麦屋さんがたくさん軒を連ねています。
平日でしたのでお休みの店もありましたが、のぼり旗があるようにどこにするか迷うほどあります。



その中で、門前にほど近い「雀のお宿」さんで、天ぷら蕎麦いただくことにしました。
平日なので、それほど混んでいませんでしたが、お店の人の話では土日、祭日は大混雑だそうです。
この日は、中国の方々だと思いますが観光バスで訪れ、店の中庭で空き待ちをしていました。
食事処がコの字型に配置され、団体さん用、座敷、テーブルと各々違った雰囲気を味わえるようです。
私たちはテーブル席にしたのですが、電気のフードにお店のマークが彫られているなど、凝った作りでした。
天ぷら蕎麦は、ちょっと足りないかな程度で、味も量的にもちょうどよかったです。

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境内や周辺で見かけた植物

神代植物公園がお休みだったので、楽しみにしていた園内の植物は見られませんでした。
それでも境内やその周辺で何種類かの野草などを見た毛ました。
もちろん、名前もわからないような種々の雑草の類は多々見られました。

下記の植物の詳細に関してははこちらをご覧ください。

 

本堂の右横には大きなムクロジの木がありました。
枝には、その果実がたわわに実っています。きれいな黄緑色で、熟すのはもう少し先ですね。

 

深大寺を後にして、脇道を上っていると道端に栃の実が落ちていました。
まだ、分厚い果皮が一部付いたままでしたので、上から落ちてきたばかりのようです。
種子のみを拾ったのですが、暗褐色でよく見る栃の実とは色合いが異なります。
後で調べると、乾燥するにつれて色が明るい褐色に変わっていくそうです。
それにしても、大きくて立派な栃の実(種子)でした。
写真は自宅で撮ったので、乾燥が進み、少し褐色味が強くなっています。
拾った直後はもっと黒っぽい色でしたし、今は乾燥しても少し明るい褐色です。

 
<ダンドボロギク>                       <ヤブタバコ>

どちらも地味な野草ですが、ダンドボロギクは北アメリカ原産の帰化植物です。
最初に見つかったのが愛知県の段戸山であったため、和名にダンドがついています。
ヤブタバコは在来種で、全国で見られる野草ですが、私はヤブタバコの花は初めて見ました。

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