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日光山輪王寺−日光東照宮



早朝に出発したので、たいした渋滞にも合わず、早めに日光に到着しました。
日光山輪王寺に近い駐車場に車を止め、日光山輪王寺から日光東照宮へと見学してきました。
どちらも修理中で、輪王寺では三佛堂が、東照宮では陽明門が見られませんでした。
それでも日光東照宮は、見どころが多すぎて、主な所しか回れませんでした。
それもざっと見ただけです。じっくり見て回れば何日かかるやら。


日光山輪王寺−日光東照宮 インデックス

日光山輪王寺 三佛堂(さんぶつどう) 【重文】

最初に行ったのは、日光山輪王寺本堂 三佛堂です。



正面の金剛桜は盛りを過ぎ、散り始めていましたが、まだ、十分に楽しめました。
この金剛桜、樹齢500年、基部で数本に枝分かれし、その周囲は約5.7mあるそうです。
バックの三佛堂は、平成大修理で全体が素屋根で覆われ、その壁には三佛堂が描かれていました。



三佛堂は、内部に入って修理の様子を見学可能でした。最初、案内人に従っての見学です。
元安置されていた所から移設された日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)などを見学。
その後、個々に階段を登りながら修理中の三佛堂を見学です。
見学通路から見える三佛堂は、完全に解体され、個々のパーツが所狭しと並べられていました。
この日は、休みだったようで、下の方の階で数人の方が作業をしているだけでした。



最上階が、修理期間限定の天空廻廊になっており、外の景色を楽しめます。
天空廻廊から見た宝物殿と逍遥園(しょうようえん)です。



天空廻廊から見た日光市の市街地とその外側に広がる山々です。
このような景色が楽しめるのは、修理期間の10年間だけとのこと。



三佛堂を後にし、外に出ると横手に小さな池がありました。
池に散ったサクラの花びらが、風に吹き寄せられて、隅の方にピンクの絨毯を作っていました。
この絨毯、正式には花筵(はなむしろ)というそうです。



池の手前側には、ミズバショウが咲いていました。
池の横を通って裏手に回り、大護摩堂(だいごまどう)の方へ向かいました。

日光山輪王寺 大護摩堂(だいごまどう)



内部で火を扱う関係で、大護摩堂は鉄筋コンクリート造りだそうです。
内陣には、ご本尊「五大明王」(ごだいみょうおう)、「七福神」や「十二天」などが安置されてます。

日光山輪王寺 相輪塔(そうりんとう)

 

三佛堂と大護摩堂の間に立つ、ロケットのような形をした、鋳銅製の塔です。
内部には、法華経を始めたくさんの経典が納められているそうです。

日光東照宮 石鳥居(いしどりい) 【重文】

輪王寺から表参道に出て、最初に目に付くのが、巨大な石鳥居です。
周りの杉の巨木に引けを取りません。この鳥居を潜るといよいよ日光東照宮です。





この石鳥居、柱の直径1.2m(実際には西側の柱の方が10cmほど太いそう)、高さは9mもあります。
日本一の大きさを誇る石鳥居で、日本三大鳥居の1つです。
「黒田筑前守長政」から寄進されたもので、領内で切り出した御影石を海路で運んだそうです。
なお、「東照大権現」の扁額は、畳1畳程の大きさがあり、後水尾天皇の宸筆といわれています。
近くで見た時には、距離があるので大きくは感じませんが、鳥居の下の人と比較すると大きいことが分かります。

日光東照宮 五重塔(ごじゅうのとう) 【重文】

石鳥居をくぐって、最初に目に付くのは、左手にある五重塔です。

 

極彩色に彩られた高さ36mの五重塔で、いろいろな見どころがあります。
その1つが垂木で、右の写真は、四層目と五層目の拡大ですが、パッと見、何か違和感はありませんか。
そう、四層目と五層目で垂木(屋根の下に並ぶ構造材)の並び方が違っています。
この五重塔、四層目までが和様の並行垂木で、五層目のみ禅宗様(唐様)の扇垂木です。
一般に、仏塔では和様の並行垂木が使用されるようですが、五層目のみ変えた理由は良く分からないようです。

 

このとき、五重塔初層内部公開が継続されていましたので、ぐるっと回って、見学していました。
五重塔の初層軒下には富田宿(現大平町)の名工「後藤正秀」が手がけた十二支の彫刻があります。
個々の干支の写真を撮っておけばよかったと後悔していますが、今となっては手遅れです。
3面分の写真から干支の部分を切り出して、つなぎ合わせたのが右の写真です。
左上から右下へ、亥(い)・子(ね)・丑(うし)・辰(たつ)・卯(う)・寅(とら)・未(ひつじ)・午(うま)・巳(み)です。
「辰・卯・寅」(写真中段)が正面で、「亥・子・丑」(写真上段)が右側、「未・午・巳」(写真下段)が左側です。
左の写真は、右斜めからの写真ですので、正面「辰・卯・寅」と右側「亥・子・丑」が写っています。
なお、初層内部も漆塗り・彩色・漆箔が施されているそうですが、うす暗くて良く見えませんでした。

 

この五重塔の心柱は四層から鎖で吊り下げられ、基礎から10cmほど浮いている構造になっています。
右は中央部を拡大したものですが、鉄帯の下の灰色の部分が芯柱の下端です。
下の基礎との隙間から、黒い反対側の壁や、反対側の喚起口からの光で光っている部分が見えています。
隙間に関しては、時を経て乾燥と重みで塔身が縮み、心柱が屋根を突き破らないように考案されたとのこと。
この構造は、免震の機能を果たすとも考えられ、東京スカイツリーの耐震設計に、取り入れられているそうです。

日光東照宮 表門(おもてもん) 【重文】

五重塔を後にし、表門に向かいます。左右に仁王像が安置されており、仁王門とも呼ばれます。



表門をくぐって中に入った後、表門を裏から撮影したものです。
表側の仁王像に対して、裏側には木製神門狛犬が安置されています。
表門の間から石鳥居が見えています。表参道からこの位置までは真っ直ぐに伸びています。

日光東照宮 三神庫(さんじんこ) 【重文】

表門をくぐって、右側に三神庫の1つ、下神庫があります。
正面に「中神庫」、その左側に上神庫があります。その向かいに三猿で有名な神厩舎があります。
なお、「下神庫」、「中神庫」、「上神庫」の3つの蔵を合わせて、三神庫と言います。



正面に見える中神庫です。右端に下神庫の屋根が、左端に上神庫が見えています。



上神庫(左手前)の方から見た、中神庫と下神庫(右端)です。
上神庫の妻には、狩野探幽が下絵を描いたといわれる象の彫り物があります。
写真の左上に見えているのが、その2匹の「想像の象」です。
伝え聞いた情報だけから描いたにしては、本物の象に良く似ていますね。
この中神庫と下神庫の間、2本の杉の木の横にもう1つ、建物が見えています。
この建物が西浄(さいじょう)で、神様のトイレです。シンプルな朱塗りで、瓦の紋は巴紋になっています。
話は変わりますが、この写真を見て、やたらと燈籠(とうろう)が多いと思いませんか。
日光東照宮には、123基の燈籠があるそうで、主に諸大名からの奉納品だそうです。



階段の上から見た上神庫です。右端に神厩舎が見えています。



上神庫の反対側の妻に描かれているボタンの絵ですが、絵の左右の隅にも象の彫り物あります。

※ 切妻造(きりづまづくり)では、屋根の棟と直角な面を「妻(つま)」、平行な面を「平(ひら)」と言います。

日光東照宮 神厩舎(しんきゅうしゃ) 【重文】

中神庫の向かいにあるのが、三猿で有名な神厩舎です。
神厩舎とは、上の乗り物である神馬(しんめ)の厩舎のことです。
現在も2頭の神馬が飼育されており、10:00〜14:00の間はこの中にいます。
ちなみに、神馬の条件は、オスで白馬であることだそうです。





神厩舎は、日光東照宮のなかで、唯一の素木造り(しらきづくり)です。
神厩舎の長押(なげし)の上には、八面の猿の彫刻が飾られています。
猿が使われているのは、昔、猿は馬を病気から守るという信仰があったことに由来するとのこと。
八面の猿は、人の一生を表しているそうで、親子の猿で始まり、妊娠した猿で終わります。



母子猿 遠くを見ている母猿とそれを見ている子猿です。



三猿 有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」です。



座る猿 独り立ちする前の猿を表しているそうです。



見上げる猿 将来の夢を見上げている青春時代を表わしているとのこと。



落ち込む猿と慰める猿 人生に挫折し、落ち込んでいる猿を慰めているのだそうです。

上記は、八面の猿の内、正面の五面を拡大したものです。
残り三面は、物思いにふける猿、結婚した猿、妊娠した猿で、出産すると最初に戻ります。

日光東照宮 御水舎(おみずや) 【重文】

神厩舎のとなりにあるのが、御水舎です。
一般には、手水舎(ちょうずや、てみずや)とか、水盤舎(すいばんしゃ)と言われているものです。
神様にお参りする前に、ここで手を洗い、口をすすぎ、心身を清めます。

 

唐破風屋根、銅瓦葺きの建物で、柱は花崗岩で作られています。
水盤は、元和(げんな)4年に、九州佐賀の鍋島侯が奉納したものです。
サイフォンの原理を用いて、水を吹ふき上げる仕組みになっています。

日光東照宮 輪蔵(りんぐら) 【重文】

御水舎の隣、上神庫の正面にあるのが、寛永12年(1635年)に建てられた輪蔵(経蔵)です。
一般には経蔵(きょうぞう)と呼ばれえる経典が保存されている所です。
この建物の中には、八角形の回転式の書架があり、そのため、ここでは輪蔵(りんぞう)と呼ばれています。
天海版の一切経1,456部、6,323巻が置かれていたとのこと。



輪蔵とその奥に見えているのは鼓楼です。
輪蔵は、宝形重層造りで、二重になった屋根が特徴です。
軒裏まで飾り金具で装飾され、極彩色の彫刻が施されています。

日光東照宮 鐘楼(しょうろう)と鼓楼(ころう) 【重文】

輪蔵の横、青銅製の唐銅鳥居を抜け、正面の階段を登ると、左手に鼓楼、右手に鐘楼があります。
鐘楼は釣鐘、鼓楼は太鼓を納める建物で、下部は袴腰形、階上には朱塗の高欄を廻らせた2階建てです。
鐘楼と鼓楼は、高さ12.6mの袴腰形の櫓(やぐら)造りで、陽明門の前に左右対称に建てられています。
袴腰形の屋根は、入母屋造りで、一般的な切妻型ではありません。



鼓楼とその右側にある釣燈籠です。右端に見えているのは、青銅製の唐銅鳥居です。
鼓楼には、亀、竜、雲など38体の彫刻がありますが、鐘楼より少なく、装飾も質素です。
また、鐘楼にある鳥類の彫刻が、鼓楼にはありません。



鐘楼です。右下に見えるのは、上神庫です。
鐘楼には、鶴・竜・飛竜・麒麟・波など78体の彫刻があり、装飾も鼓楼より豪華です。

 
  鐘楼と朝鮮鐘(ちょうせんかね)     唐銅燈籠(からがねとうろう)

朝鮮鐘は、1643年に四代将軍家綱の誕生のお祝いに朝鮮から送られたものの一つ。
龍頭に小さな穴があり、別名「虫蝕の鐘」と呼ばれ、鐘舎(しょうしゃ)に吊るされています。

唐銅燈籠二基は、陽明門石段右手の鐘楼側にあり、島津家久が奉納したものです。
反対側には、伊達政宗が奉納した南蛮鉄燈籠二基があります。

日光東照宮 陽明門(ようめいもん)と東西回廊(とうざいかいろう) 【国宝】

「陽明門」は、残念ながら修理中のため、覆いがかかっていて見ることができませんでした。
その代わり、修理で現れた壁画を見ることができました。
西の「松と巣ごもりの鶴」は217年ぶり、東の「梅と錦花鳥」は40年ぶりの公開になるそうです。



陽明門の右手に伸びる東回廊で、長さは220mあるそうです。
回廊外側には、長押の上に雲、その下の胴羽目には花鳥と動物、さらに下の腰羽目には水鳥の彫り物があります。
これらは、天・地・水にちなんだもので、けやきの1枚板に透かし彫りされています。

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西回廊の胴羽目の彫刻の一部です。多少色がはげ落ちていますが、見事な彫り物です。



西廻廊の内側の一画に、修理中の陽明門から退避した「随身像」と「木製神門狛犬」が置かれていました。
「随身像」は、陽明門の両側の柱に安置されていたもので、袴の家紋が話題になっています。
「木製神門狛犬」は、陽明門の背面に安置されていたもので、角がないので獅子という説もあるそうです。



東廻廊の坂下門の蟇股(かえるまた)には、有名な名工「左甚五郎」作と伝えられる「眠猫」がいます。



その眠り猫の裏側にいるのが、2羽の雀です。

日光東照宮 神輿舎(しんよしゃ) 【重文】

陽明門を潜って、左手にあるのが入母屋造りの神輿舎です。
中には、三基の神輿が納めれており、中央が徳川家康公、その右側が豊臣秀頼公、左側が源頼朝卿の神輿です。



神輿舎の軒下には、多くの鳥の彫刻が彫られており、正面には家康公の干支である虎が彫られています。
写真の左上の庇(ひさし)の下に、二匹の虎が見えています。



神輿舎にはもう1つ、見るべきものがあります。それは、天井画の3人の天女です。
笛や琵琶(びわ)や花を持って舞う天女は、日本一の美人の天女だそうです。



三基の神輿で、中央が東照宮の主祭神「徳川家康公」の神輿です。
その左が配祀神「源頼朝卿」、右が配祀神「豊臣秀吉公」の神輿です。



「徳川家康公」の神輿のアップです。
神輿の屋根には三葉葵の紋、正面には家康公の干支である虎の飾りが取り付けられています。

日光東照宮 拝殿(はいでん) 【国宝】

陽明門を入って、正面に見える唐門の奥に見えているのが、「拝殿」です。
この拝殿の後に「本殿」があり、両者の間にあるのが「石の間」です。



唐門と透塀、その後ろに見えているのが拝殿の屋根です。
拝殿は、入母屋造りで、正面に千鳥破風が付き、向排(こうはい)は、軒が唐破風になっています。



千鳥破風(ちどりはふ)には、二羽の鶴の彫刻があります。
左右の破風板と中央の懸魚(げぎょ)の模様も繊細です。



唐破風(からはふ)には、虎と豹の彫刻があります。
虎は、家康公の干支ですが、もう一方がなぜ豹なのか、理由は不明だそうです。



拝殿、向排西側の白龍の彫刻です。白龍の彫刻は、他にも何体かあります。

日光東照宮 唐門(からもん) 【国宝】



拝殿の前にあるのが唐門です。
モノトーンに近いシンプルな配色ですが、彫り物は素晴らしいものがありました。
唐門の彫刻の数は、611もあるそうです。
唐門の両サイドに広がる透塀にも素晴らしい彫刻が並んでいます。



「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」の彫刻です。左が許由で、右が巣父です。
「いらない欲は持つな」という中国の故事を元にした教えを説いているものだそうです。



「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」の彫刻で、中央が舜帝です。
この舜帝が残した「内平外成」の言葉から、「平成」の元号が選ばれました。

 
左門柱(降龍)     左側両開桟唐戸         右側両開桟唐戸     右門柱(昇龍)

左右の門柱には、昇龍と降龍が紫檀や黒檀などで象嵌されています。
両開桟唐戸(りょうひらきさんからど)にも、牡丹、梅、菊などの花が象嵌されています。

 
       西側の龍                  南側の恙(つつが)と東側の龍

唐門の四方軒唐破風の屋根には、正面(南)と背面(北)に夜の守護神として恙が置かれています。
四方軒唐破風の東西の屋根には、昼の守護神として龍が置かれています。
出来栄えが良すぎるので、逃げ出さないように恙は金輪でつなぎ、龍は鰭(ひれ)を切られているそうです。



唐門の右に続くのが透塀(すきべい)です。



透塀の西側の角です。右側は修理が終わり、アクリル板で保護されています。
左側は、間が修理が終わっておらず、金具は錆び、彫刻は色あせしています。
上の欄間には花鳥の彫刻、下の腰羽目には波と鴨、鷺、千鳥などの水鳥が彫られています。
なお、この彫刻ですが、同じものはないそうです。



腰羽目の彫刻の1つで、波に鴨、慈姑(クワイ)の葉が彫られています。
長押(なげし)には、亀甲花菱紋(きっこうはなびしもん)が施されています。

日光東照宮 奥社(おくしゃ) 【重文】

東廻廊の眠り猫の下を通って、坂下門(さかしたもん)をくぐると、奥社(奥宮)に続く石段があります。
この石段は207段あり、踏み石は一枚岩になっています。石柵も一枚岩をくりぬき手作られているそうです。
石段を一気に登り、喘ぎながら、唐銅鳥居をくぐり、奥宮に到着です。
拝殿は、正面から後が素通しで、鋳抜門(いぬきもん)の石段が見えます。
拝殿でお参りし、横を回って奥に進みます。

 

拝殿の裏が鋳抜門(いぬきもん)です。立派な唐銅製の門で、左右を狛犬が守っています。
門の左右には、蜃(しん)が気を吐いています。蜃気楼の「蜃」のことです。
この横を回って、さらに奥に進みますが、周囲を石玉垣(いしたまがき)が囲っています。



石玉垣で囲われた奥社御宝塔(おくしゃごほうとう)です。
当初、木製であったものを、後に石製に、さらに五代将軍綱吉のときに、唐銅製に改められたとのこと。
御宝塔の前には、花瓶、香炉、燭台の三具足(みつぐそく)があります。
当初は、朝鮮国王からの奉納品であったが、火災で焼け、日本で作りなおされたものとのこと。
三具足の左奥に杉の木が見えていますが、これが叶杉(かのうすぎ)です。
説明板には、「諸々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると願い事が叶うと伝えられている」と書かれています。
石玉垣をぐるりと回って、元来た道を戻ります。

 

坂下門と奥社を結ぶ石段の横の斜面には、たくさんのフタバアオイが見られます。
行った時は、ちょうど開花の時期だったようで、たくさん花も咲いていました。
といっても、地味な花なので、気を付けていないと見過ごしてしまいます。
ところで、このフタバアオイの葉を図案科した紋章が、三つ葉葵なのをご存知ですか。
この写真では見づらいですが、葉の形はそっくりです。
ただ、名前の通り、葉は2枚しかありません。極稀に3枚のものもあるようですが、普通は2枚です。
徳川家康の墓所への石段に、フタバアオイがたくさん見られるというのは、偶然かも知れませんが、興味深いですね。

日光東照宮 本地堂(薬師堂)

出て右手の鼓楼の奥にある本地堂(薬師堂)、ここには鳴龍の絵があります(撮影禁止のため写真はありません)。
で、見学し、鳴龍の音を聞いてきました。実に見事な反響ぶりで、転がるように尾を引きます。
天井の龍の頭辺りが、他より凹んだ凹面鏡のようになっていて、音が拡散しにくい構造になっている由。
そのため、トンネル内で起きるフラッターエコーと同じように長く尾を引くようです。
鳴龍を楽しんだ後、東照宮を後にしました。









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