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更新:2024/02/23
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)
<兵庫県高砂市阿弥陀町地徳279>



兵庫県高砂市阿弥陀町地徳にある鹿嶋神社。一願成就・合格祈願の神として信仰されています。
主祭神は、武甕槌命(たくみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)です。

社伝によれば奈良時代に播磨国の国分寺が創建された折、その鎮守社として創建されたとされます。
1578年(天正6年)に羽柴秀吉が神吉城を攻めるときに、神社周辺でも戦いがありました。
しかし、戦火に焼かれることなく、神殿は残ったといわれています。
江戸時代、地徳地区開発にあたり、神社の復活が計画され、寛文年間に松平直矩により祭神が復活しました。
元禄時代には本田忠国から境内拡張地を提供し、姫路藩によって崇敬されてきました。

一願成就・合格祈願に関してですが、
拝殿で参り、本殿裏を回って竹の棒を置く、これを年の数だけ繰り返す願掛けが行われます。
ただ、本殿裏を回る通路の入口に、「摩(なず)り願い石」が、奥に「摩(なず)りダルマ様」が置かれています。
この「摩り願い石」は、前述の竹の棒を置く代わりに、この石を撫でて祈願するように置かれたようです。
「摩りダルマ様」は、達磨大師の偉業を崇めてダルマ様に触れ、1つの願いに祈りを込めて祈願します。

鹿嶋神社は、神社ではありますが、香を焚き、灯明をあげる珍しい風習があります。
これは、武士が出陣に臨んで鹿嶋神社に詣で、武運長久を祈念するとともに、
兜に香を焚き込めて勇ましく出陣した故事が、慣わしとなったと伝えられています。
今ではそれらがロウソクと線香に名残りとして残っていて、御灯明舎と御香炉舎が置かれています。


2021/1/13
国道2号線から案内看板に沿って進むと、最初に向かえてくれるのがこの大鳥居です。
1998年(平成10年)に作られたそうで、チタン製の鳥居になっています。
高さ26m、幅35m、柱間18m、柱径3mと、日本最大級の鳥居となっています。

この鳥居の右手や左手奥に駐車場があります。
例年のお正月は国道2号線からの大渋滞で、車で駐車場にたどり着くまでにかなりの時間を要します。
今年は、新型コロナの影響で分散初詣が行われ、12月の末辺りから初詣が行われたようです。
私は混雑を避けるため、初詣が落ち着いた頃にと、成人の日が過ぎてからの参拝となりました。
そのため、駐車場まですんなりと到着でき、空きスペースに駐車することができました。
しかし、駐車場はほぼ満杯の状態で、後から来た車が空き待ちをしていました。


2021/1/13
左は、鹿嶋神社の参道入口の鳥居です。ここから真っすぐに石畳の参道が伸びています。
参道の両側には、たくさんの石燈籠が並んでいて、そこに破魔矢などの差し込まれていました。
本来は、本殿左手にこれらを収める所が用意されているのですが、これが例年の風景です。


2021/1/13
石畳の参道を進んでいくと、右手に巨大な「鹿嶋大神」と書かれた石碑が見えてきます。
その左手の真新しい社殿は、車用の祈祷殿(1994年(平成6年)建立)になっているようです。
この石畳の突き当り、左手前に手水舎があるのですが、コロナ対策で柄杓は置かれていませんでした。

 
2021/1/13
石畳の参道の突き当りからは、階段を上がって本殿に進みます。
例年の三が日の頃は、この階段手前で入場制限が掛けられ、ここから参道入口の先まで大混雑となります。
そのため、この階段下にたどり着くまでにかなりの時間を要することとなります。
この日は。すでにピークを過ぎていたので、人出もまばらでした。階段を上りきると山門があります。
階段は山門の中まで伸びていて、上りきった山門の左右には狛犬が置かれています。


2021/1/13
上りきって振り返ったときの写真で、この日の人出は、この程度でした。


2021/1/13
鹿嶋神社の本殿になります。
建立以来300年余りを経ていた本殿は、1981年(昭和56年)に全面改築されています。
ここの注連縄は、両端がつぼまった大根締めですが、左右対称になっています。


2021/1/13
本殿の左手には、大きな絵馬が掲げられ、その横から本殿の裏手に回ることができます。
その入り口の左手に、「摩(なず)り願い石」が置かれています。


2023/1/5
今回はコロナの制限が緩和されていることや日が早い事もあり、そこそこ混んでいました。
大きな絵馬も今年の干支である卯に変わっていますが、基本的なデザインは同じでした。
なお、絵馬の横から本殿の裏手に行けるのですが、今年はまだ閉鎖されていました。


2024/2/14
今年の初詣は1/12だったのですが写真は撮らなかったので、後日、家内と参拝した時に撮ってきました。
左の写真は、本殿左手の入口横にある「摩(なず)り願い石」の手前に掲げられていた絵馬です。
右の写真は、下の社務所から帰路の入口に向かう所に掲げられたいた絵馬です。
以前からあったのかもしれませんが、いつもここは素通りしてしまうので、今まで気が付いていませんでした。


2021/1/13
入口横にある「摩(なず)り願い石」と本殿の真裏に置かれた「摩(なず)りダルマ様」です。
どちらも、コロナ対策のため手を触れないようにと書かれていました。
裏手の壁一面には、願い事が書かれた絵馬が所狭しとかけられ、天井からは千羽鶴が下がっています。


2024/2/14
左の写真は、本殿左手の入口横にある「摩り願い石」で、本殿の裏手を周るのは久しぶりになります。
右の写真は、本殿の真裏にある「摩りダルマ様」です。どちらも張り紙のない、いつもの姿に戻っていました。
周りの壁に沿って大量の絵馬が奥の方まで掛けられていて、絵馬の多くは受験の合格を祈願するものでした。
その上部には多くの千羽鶴が下げられていて、これらにはいろいろな願いが込められているのでしょうね。


2021/1/13
左の写真は、本殿の左手にある境内社で、手前から戎社、出雲社、三宝荒神社と並んでいます。
その奥に赤い鳥居がちらりと見えていますが、八秀稲荷の鳥居と思われます。
右の写真は、本殿の上から山門の方を見たもので、奥に見えているのが山門で、右手は御灯明舎です。

 
 <戎社>      2023/1/5      <出雲社>

<登山口>          2023/1/5   <三宝荒神社>     .
境内の末社を個別に撮ったものですが、社の形が各々異なっています。
出雲社のみ屋根に千木と鰹木が付いていて、他の社にはありません。
なお、三宝とは「火の神」火産霊神(ほむすびのかみ)と「かまどの神」奥津日子命(おくつひこ)、
奥津比売命(おくつひめ)<女神>の三神を表していて、荒神さまはかまどの神様です。
登山口やその奥に朱の鳥居がありますが、奥に見えているのが「稲荷社」です。
その他にも「三神合祀社」、「太郎坊権現社」があります。
なお、三神合祀社には、鹿島大神(鹿島神宮の御祭神で建国の神)、福成大神(成功を祈願する神)、
當勝大神(勝利を祈願する神)が祀られています。


2021/1/13
左の写真は、本殿左手にある御香炉舎(左側)と御灯明舎(右側)です。
御灯明舎の後に見えている屋根の所で、ロウソクとお線香(1セット¥50)を購入できます。
右の写真は、参拝を終えた後の帰り道で、見えているのは御祈祷殿です。
帰路の両側にびっしりとおみくじが結び付けられたおみくじ掛けがあり、参拝者の多さを物語っています。


2021/1/13
坂を下った所に御祈祷殿があり、右手は社務所になっていて、左手には車用の御祈祷殿があります。
その左手には参道で見られた「鹿島大神」の石碑があり、裏には「一願成就」と掘られています。


2021/1/13
左の写真で、石畳になっている方が帰路で、その右側は車の祈祷を受ける際の進入路となっています。
この帰路の両側にも、御祈祷殿でおみくじを引いた人がおみくじが結び付けていました。
右側は、車用の進入路入口から御祈祷殿を見たものです。


2021/1/13
鹿嶋神社の入口付近から見た様子です。前週辺りまでは露店が開いて賑わっていたのでしょう。
この通りには、柏餅(この辺りの名物になっています)を売る店が何軒かあります。
その店の方に聞いたところ、やっとピークが過ぎて人出が減りましたとのこと。
ずらりと並んでいる露天は全て閉まっており、中には撤収作業中の所もありました。

高砂成田山守護尊寺(たかさごなりたさんしゅごそんじ)

1957年(昭和32年)に、厄除けで名高い不動明王を勧請し、祈願寺として開山したものです。
開創以来、近隣や県外からも自動車の交通安全祈願、開運厄除けなどの祈願での参拝があります。
1978年(昭和53年)に、現在地に祈願所を移転して、現在、元の祈願所は奥の院となっています。


2021/1/13
鹿嶋神社に向かう細い道路沿いにある「高砂成田山守護尊寺」の奥の院です。
元々は、この場所に祈願所があったのですが、道路事情が悪いので下記に祈願所を移転しています。


2021/1/14
鹿嶋神社の大鳥居から数百m手前にある、「高砂成田山守護尊寺」の祈願所です。
以前の場所よりも道路事情は良くはなっていますが、道路はそう広くはありません。

米田大師寺(よねだだいしじ)

鹿嶋神社に向かう道路脇にある小さなお寺が、米田大師寺です。
御本尊は弘法大師で、真言宗山階派のお寺になります。
以前は、民家の庭先にお堂を付けたような佇まいだったのですが、きれいに改築されていました。
インターネット上では、お地蔵様の絵が入った御朱印が話題になっているそうです。


2021/1/13
以前からこの場所にこじんまりとしたお寺のようなものがあるのは知っていました。
それが、今年、鹿嶋神社に行ったとき、見違えるような真新しい建屋に変わっていました。
後で調べてみると、米田大師寺という真言宗山階派のお寺だったようです。
可愛らしいお地蔵さんの絵を、御住職が手書きで書いた御朱印が話題になっているそうです。









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